本日は、日本心理臨床学会第43回大会のWeb大会にて、自主シンポジウムに登壇させていただきました。
タイトルは「個人が企画するオンラインセミナーの可能性:それぞれの実践の振り返りを通じて」。
企画、司会は心理職支援団体MOSSの宇野さん。話題提供者は、同じくMOSSの村田さん、対人援助職向け研修団体Assembleの徳田さん、そして、私でした。
チャットでも音声でも、たくさんのコメントをいただき、活発なディスカッションになったかと思います。御参加してくださった皆様、ありがとうございました。
さて。
日心臨!と思うとどうしても緊張し、そうでなくても普段から緊張しやすいものですから、話しそびれたことや、後から思いつくことがあります。
それは、そもそも、なんのために私が研修をするのか、ということです。
私は職場の上司から、自分の臨床をアウトプットするように、常々、言われてきました。
終了したケースが出てきたら、振り返りのレポートを書きなさい。
事例検討会や事例報告をしてみなさい。
研究が難しいなら、後輩の指導をしてみなさい、と。
自分の臨床を言語化することが、自分自身の臨床の力を磨くことになるのと同時に、人に話すことが自分がまっとうな臨床をやり続けるために必要なのだと、教えていただいたのだと思っています。
私が勤め始めた頃の職場は、医師ひとり、心理職は私ひとりの小さな規模でした。
まるで研修医を教えるかのように、さまざまなことを教えてもらうことができました。
そのすべてを部下たちに教えられているか、とても自信はありませんが、ある日、私が部下たちに教えていることを知っていれば、もう少し楽に仕事ができる心理職もいる?と思ったところから、地元で研修をするようになりました。
私にとっては普段、部下たちに教えていることの延長線上、拡大版。
それが、コロナを経て、オンラインの世界で、更に拡大されただけなのです。
今はこころの相談室ねこのてとして、公認心理師や臨床心理士の方に個別によろず相談を引き受けています。
その中で、何度も同じことを、それぞれの人に話すことが、時々生じます。
そうすると、じゃあ、都度都度個別に説明するのは効率も悪いから、集まっていただいていっぺんに説明してもよいかしら、と思うと、研修の企画をすることになるのです。
ほかの人も御興味あるならどうぞ。私でよければ説明しますよ。質問に答えますよ。一緒に考えますよ。
そういうスタンスでやり続けてきたように思います。
なにか出来事が起きた時、なにか困っている人と出会った時。
私は自分にできることはあるだろうか、と考える癖があるようです。
なにかしたい気持ちが動いたら、どうやったら現実にできるかを考えることが好きなのです。
そこは、根っからのSFA好きの性分なのだと思います。
できない理由を述べるより、できる方法を考えろ。
その姿勢が、今も、私を動かしているような気がするのです。
他方で、私がやりすぎ注意と自分にブレーキをかけている部分もあります。
他者を見て、こうしたらいいのに、こうしてみたらできそうなのに、と思うのはたやすいのですが、世話を焼き過ぎることは他者の成長の機会を奪うことになります。
また、他者の世話を焼くことが当たり前になってしまった時に、世話をする役には不平や不満が溜まりやすくなるのは、よく知られている通りです。
ですから、企画を考える時は三方よしを心がけることと、ただばたらきはしないこと、この二つをブレーキにしているのです。
それぐらい無料でやればいいのにと批判されたこともありますが、私は自分もやってよかったと思いたいですし、参加してよかったと思っていただきたいですし、そのことで第三者がなにか得られるものがあるような仕組みにしていきたい。
それで、よく、研修の収益の一部を災害支援などに寄付したりしてきました。微力ではありますが、それもまた、他者への世話焼きなのかもしれないですけれど。
私は持病もありますし、あとどれだけ、臨床ができるのだろう、とよく考えます。
10年、頑張れたらいいなぁ。
上司だけではなく、たくさんの先輩たちが私に与えてくれたものを、棚卸して、配り歩くことができたらいいなぁ。
ずっと手探りでやってきたことだけど、こうして、私が見つけてきたこのが、誰かのお役に立つことがとても嬉しいです。
そう。嬉しい。
だから、研修をするのだと思います。