倫理についての覚書
- ふくち
- 4月10日
- 読了時間: 4分
先週、友人がこの世を去りました。
こういう時は、ずいぶんと自分のメンタライジング失われることを、改めて実感しました。
この体験を通じて考えたことを書き残しておこうと思いました。
友人とは出会ってからの期間は短く、会った回数も少ないです。が、大事な友人でした。
昨年末までと余命を宣告されていた方です。この数か月、その「刻限」がいつも気がかりでしたし、そこを3か月も越えて、よく頑張ったものだと思います。
「いつか別れが来る」ことはわかっていたにも関わらず、いざその時が近づいて来ると、自分の心の中、頭の中がその方への思いでいっぱいになりました。
訃報が届いてからは、悲しみや寂しさが押し寄せてきて、何度も何度も涙しています。
とはいえ、クリニックでの面接中や、ねこのての面接中では、それはそれ、これはこれと分けることができます。
多少の言葉選び、話題選びに私の無意識がにじみ出る部分はあったかもしれませんが、生きて会える人たちに、より一層、敬意と親愛を持って面接を行いたいと気持ちを新たにしました。
ですから、仕事そのものには大きな影響を出さずに、過ごすことができたように思います。
他方で、プライベートの関係性のなかでは、普段よりもずっと没交渉になりがちだったかと思います。
機嫌よく交流するだけの心の余裕や元気が足りていないことから、友人たちとの関係に甘えて、連絡への返答も最低限にしていました。
そのような中、私の事情とは無関係に請われる援助希求に対して、イライラしやすくなっている自分を感じていました。
しなければならないタスクをひとつずつ片付けながらも、普段以上に、キャパシティを越えていると感じ、疲弊していました。(これは現在進行形かもしれません)
極力、イライラを他者にぶつけてしまわないようにするには、これまた心のエネルギーを必要とすることです。
身近な人が死んでしまうとか、自分自身が病になるとか、こういう出来事は、長い人生の中では避けられません。
自分のことでいっぱいいっぱいになりたいし、ならないと乗り切れないようなことが、心理職にも訪れます。
そこから、枠というのは、心理職も守ることであり、治療関係を守ることになり、回りまわってクライエントを守ることなのだと、実感を伴いながら、考えました。
調子のよい時、元気な時であれば、枠を多少超えても、目の前の人と繋がりたい気持ちが沸き上がることがあります。
たとえば、目の前にいる人が、とてもお腹をすかせていて、所持金も無くて、帰っても食べるものがなくて、食べさせてくれる人もいない時に、自分の机の引き出しに未開封の保存食があることを思い出し、「あげられたらいいのに」って考えがよぎるのは、人として当たり前の品性ではないかと思います。
理想論で言えば、食べ物を自分で手に入れられるように気持ちを育てることが、心理的な援助です。
このたとえを用いるなら、食べ物のある場所は食べ物をもらえる制度を教えるのが社会福祉。
でも、個人のお財布からお金を出してすることではない。
ちょこっとだけ逆転移をすることを自分に許し、目の前の人に気持ちの上で肩入れしたとしても、それが物理的な「もの」のやりとりにすり替わってしまうのはNG。
そして、プライベートな領域にはみ出していくことも、NG。
この理由を説明するために様々な言葉が尽くされています。
私の中でも、この枠を守ることについては、クライエントを守るためという認識のほうが大きかったように思います。
それは、真っ先に連想することが、性的な搾取にならないように、という理由だからかもしれません。
クライエントを自分のために利用してはならない。ことに、性的な搾取になっては絶対にいけない。
そんな風に考えてきましたが、よれよれになっている自分を見つめた時、自分が枠に守られていることを感じます。
こんなよれよれの時こそ、24時間365日、枠を超えて誰かのために治療者であり続けることは非現実的な無理難題だと痛感します。
私自身が安定すること。少なくとも、その時間の間と時間を区切れば、安定した状態を保ちやすいものです。
治療者が安定すれば、治療関係を安全な範囲で支えやすくなります。
そうやって、クライエントの安全を守り、安心をもたらすこと。
私の尊敬する上司が
>友人として出会った人は途中で相談に乗ることがあっても友人。
>治療場面で出会った人はどんなに仲良くなったとしても患者さん。
と、教え聞かせてくれたことがあります。
この言葉が、私のお守りのひとつです。
その職場なり、その治療者なりの枠の築き方や、枠の強弱はあると思いますが、公私は混ぜるな危険ってことですね。
書いては消し、書いては消しとくりかえすうちに、何を書こうか、考えていたことを見失った気がします。
私は友人のためなら、友人のカウンセラーにもなりたかった。でも、友人は友人のままでいてくれた。
とても得難い人でした。
