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  • 執筆者の写真ふくち

WS「伝える技術 言わない配慮」

2020年8月1日に、福岡市東区のドレミ薬局さんの社員研修を行わせていただきました。 1時間ずつ3回のオーダーで、この日は3回目でした。最初の回は「聞く技術 聞かない配慮」と題しました。2回目は「心療内科・精神科のこと」でした。 今回、「うつ病と不眠の心理教育」としてやろうと考えていましたが、なぜ、心理教育を紹介するのかを考えて、説明をつけ足していくと、「伝える技術 言わない配慮」ということに、落ち着いていったのです。


カウンセリングマインドという言葉があったり、いろいろな領域でカウンセリングの技術は紹介されたり、応用されることがあります。 他者への関わり方として、カウンセリングの有用性が広く認知されることは、心理職として嬉しく思います。 ですが、だれもかれもがカウンセラーになることは、少し違うなぁという気持ちも持っています。


たとえば、困っている人や傷ついている人、悲しんでいる人や落ち込んでいる人、怒りにかられている人。そういう人を目の前にしたときに、自分の心の中にもやもやといろいろな感情がわいてきます。 日常場面であれば、そのもやもやをすっきりさせるように、相手を慰めようとしたり助言しようとしたりするのも、よくあることでしょう。

心理療法・精神療法を行うときには、治療者のなかにわきあがったもやもやを、それはどういうものであるかを、自分でモニターすることを、心理職は学んでいます。 というのも、もやもやをすっきりさせるためではなく、目の前の方に治療的であるかどうかを判断して、言葉を選びながら働きかけることが、心理療法・精神療法に必要だからです。 ただ単に慰めたり、ただ単に助言をしたりするわけではないことを、たった1時間やそこらの研修で身に着けていただくことは、私には荷が勝ちます。

安易な助言や正論は、それが善意から出たものであったとしても、人を追い詰めることがあります。 言われてできるぐらいだったら、苦労しません。 それぞれの疾患を持った人たちは、たいていの対処方法はやってきた人たちです。 頭では重々にわかっていても、でも、それができなかったり、うまくいかなかったことで、既に苦しくなっていたり、もどかしくなっていたり、みじめな気持ちを味わっていることがあります。 そのようなときに、自分でもわかっていることをあっさりと言われてしまえば、「ここでもやっぱりわかってもらえなかった」「やっぱりできていない自分がだめなのだ」「この人もわかろうとしてくれないのだ」という絶望や無力感、拒絶感を感じても不思議ではないのです。


生兵法は大怪我の基といいます。 あえて、上手いことを言おうとしないで、一緒に困る、一緒に悩む、解決や治癒が見当たらなくて苦しいことを一緒に味わう、一緒に抱える。 言葉を失って、黙りこむだけでも、気の毒であることを表す表情が、十分に共感を伝えることもあるのではないでしょうか。 そんなことを一緒に考えていただき、一連の研修を終わらせていただきました。


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