WSはじめてのインテーク面接
- ふくち

- 3 時間前
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インテークの研修を、毎年のように続けています。
もう何度目になるのか、自分でもよくわからなくなってきましたが、そのたびに少しずつ手を入れて、少しずつ言葉を変えながら、続いてきた時間でもあります。
インテークというと、どうしても「何を聞くか」「どう整理するか」といった、技術の話になりやすいものです。もちろん、それも大切なことです。
けれども、実際の臨床の場面で多くの方が立ち止まるのは、もう少し別のところにあるように感じています。
たとえば、何をどこまで聞いてよいのか迷うとき。うまくやろうとして、かえって言葉が出てこなくなるとき。「これで合っているのだろうか」と、足元が揺らぐとき。
そうした瞬間に起きていることは、単なる技術の不足ではなくて、その人なりの「まじめさ」や「責任感」が働いているからこそ、でもあるのだと思います。
インテークは、情報を集める場面であると同時に、その人と出会う、最初の時間でもあります。
評価することと、関係をつくること。その両方が、同時に求められる場面です。
だからこそ、「正しくやろう」とするほどに、難しくなる。
最初はみんな初心者です。
はじめましてのセッションは、訪れた側も、迎え入れる側も、緊張するのが当たり前です。
緊張すると、普段のようには振る舞えず、どこかぎこちなくなることもあるでしょう。
もしそれをインテーカーの「初心者」の段階とするならば、そこから少し進んだ「初級者」の段階では、一生懸命に話を聞いているのに、情報の多さに圧倒されて、どこに注目してよいのかがつかめない、ということが起きます。
さらに経験を重ねた「中級者」になると、情報をまとめたり、仮説を立てたりすることに、慣れてきます。
そして「上級者」になると、インテークを行いながら、その場でのケアや関係づくりも、自然に行えるようになっていきます。
こうして段階として眺めてみると、いま自分が感じている戸惑いや難しさも、通過点のひとつとして見えてくるかもしれません。
最初は、みんな初心者なのです。
正しくありたいという気持ちは、臨床家の倫理を守るうえで、とても大切なものです。
インテークとして、「これを聞かなくてはならない」という決まりがあるわけではありません。
けれども、目の前の人に対して、好奇心を持つことを忘れずにいること。
それは、ひとつの「正しさ」と呼べるのではないかと、私は思っています。
目の前の人のお役に立ちたいと願うこと。
そのために、チームにもつながる理解を持ち帰ろうとすること。
その両方を含んだ営みとして、インテークをとらえていきたいものです。
今年は私の体調不良のため、後半はアーカイブ視聴のみとさせていただきました。
ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ございません。




