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  • 執筆者の写真ふくち

バイザーかメンターか

こんにちは。こころの相談室ねこのての福地です。 このところ、ずっと考えていることを言葉にできないかと思い、思いつくまま書いてみようと思います。


先月、入院している時に、西見奈子(編著)『精神分析にとって女とは何か』を読みました。 その本を読んでの感想は別の記事に書いたとおりです。 その後、北山修さん(私にとっては、北山先生であるより先にきたやまさんとして知った方であるので、どうしてもさん付けしたくなっちゃう)のとあるウェビナーを聞いてから、自分がやりたいことはなんだろうと改めて考える機会となったのです。


日本の精神分析は、古澤平作から始まりますが、師となれる人が1人しかいないと、スパーバイザーと訓練分析とを2人で手分けして1人の臨床家を育てるという三角が描けなかったのは仕方がないですよね。 師となれる人が1人しかいないのですもの。 そこに、日本的な、一子相伝や二君にまみえずな文化的土壌が合体すると、確かに「複数の人に同時に相談する」ことが当たり前になりにくいかもしれないと、ひどく納得したのです。


私は精神分析の勉強はしてきましたが、訓練分析を受けておりませんし、精神分析家ではありません。 心理臨床の数ある理論や技術や流派のなかで、先鞭をつけたのは精神分析であり、こころという見えないもの、その作用について、表現できる言葉を最も磨いてきたのも精神分析であると考えています。 だからこそ、理論として学んできたことは、私の臨床の背骨の一部となっていることは間違いないでしょう。


けれども、クリニックでは短期間で効果を出すことも求められますし、実際に1回しかお会いできない方もいます。 その数少ない機会をいかすためにも、働きかける手段としてはブリーフ、とりわけ、SFAが私に馴染んだ道具となりました。 ねこのての御相談でも、基本はシングルセッションのつもりでお会いすることが多いです。 少ない回数で、逐語などの資料もなしに、どのようなセッションをするかというと、そのケースをどのように見立てるか、を中心にしています。 どのように見立てて、どのような手立てで関わり、当方での御相談者である心理職はどのような気持ちを感じているか。 手立てのなかでできている部分、よい関わりの部分はしっかりとフィードバックした上で、もしも福地がそのケースを担当したらどうするかを一例として考えてみるようにしています。 このようなセッションの進め方が多いように思います。


私は以前から、御相談者である心理職が元気になるようなスーパービジョンがしたいと思っていました。 それはスーパービジョンとは言わないと、御指摘を受けたこともあります。 でも、と、考えてしまうのです。 関わり方の適切さをフィードバックしてもらっている方が少なすぎます。 コロナが流行してからオンラインでの研修が増えて、どこにいても研修が受けやすくなったことで、余計にあれもこれも身に着けなければいけない風潮になり、ますますあれもこれもできていないと考えやすくなりやすくなっているかもしれません。 後進を育成するならば、どうやって彼らに適度な自信と意欲をもって仕事に臨んでもらうか、そのような背中を支える役割に、私は心惹かれるのです。


思い返せば、キャリアの最初のほうから、私は自分の担当したクライエントさんたちが大好きで、彼らを自慢するような事例発表じゃなんでいけないのだろうと思ったことがあります。 彼らがこんなに大変な中、がんばって生きているの、すごくない?って自慢するようなセッティングだったら、事例検討もスーパービジョンも、ずっと気が楽になるだろうにと考えてしまったのです。 そのほうが、こんなに大変で大変で…というよりも、もっと、クライエントさん達にも失礼が少ないような気がします。


特定の技術を身につけるためのスーパービジョンや、ことに逐語を丁寧に振り返りながら進めるようなスーパービジョンではないことは認めます。 同じケースを複数のバイザーに相談なさる、その一つとして御利用なさるのも、もちろんOKです。 私はクライエントさん達に最大限のリスペクトを払いながら、心理職の心が折れないように背中を支えるような、そんなねこのてでありたいのです。 そう思うと、私はバイザーではなく、メンターになりたいんだろうなぁ。



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