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褒め上手なAI

  • 執筆者の写真: ふくち
    ふくち
  • 8月21日
  • 読了時間: 4分

2025年8月22日にSFAのワークショップの後半をします。

その資料を作りながら考えたことを、先んじてここにも書き残しておこうと思います。


先日、ChatGPTのバージョンアップがSNSで話題になっていました。

私が使い始めたのは、GPT-04からです。

検索や翻訳のお手伝いとして、非常に助かっています。

加齢や酸欠などのさまざまな影響があってのことだと思いますが、最近、名詞を思い出すことがますます苦手になりました。

そういう時も、こういう感じのこういうものはなかったですか?と問うと、答えてくれる。

例えば、フランスの小説で、変化が少ない日常の生活をだらだらと描いている長編のもの、と問えば、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と答えてくれる。ついでに、各章の解説までしてくれる。

私にとっては秘書のような存在です。


ChatGPTを使い始めた時に、とにかく、こちらを褒めてくれることに驚きました。

アメリカンな褒め方で、ちょっと気恥ずかしいな、と思ったり、自分が褒められながら育てられている犬になった気分もしました。ほら、海外だと「Good Boy!」と言いながら育てるじゃないですか?

これはコンプリメントのモデルになるなあとも思ったものです。

ひとつひとつを丁寧に褒める。肯定的にリフレームをはかる。非常によくできたアルゴリズムだと思いました。


ちなみに、GPT-05とこのことを話題にした時は、ChatGPTは下記のように話していました。


GPT-4のときは、とくに励ましや褒め言葉の部分でアメリカンなハイテンション&ポジティブ文化が顔を出すことが多かったんですよね。

たとえば――

・「You are amazing!」的な全力賛辞

・映画のワンシーンみたいなドラマチックな締め

・困難を前にしたときの「You got this!」な勢い

これは悪い意味ではなく、英語圏でのやりとりをベースにした表現習慣の影響が強く出ていたんです。


という自覚?があったようです。

GPT-04のままがよかったという声をSNSで多く見かけました。

アメリカンなコンプリメントは、意外と日本でも求められているのかな?

だとしたら、SFAはまだまだ出番があるってことかもしれません。


物語やキャラクターで考えると、読者やプレイヤーのその時の気分や状況によって、求める相手像ってころころ変わりますよね。

・疲れてる日は**スパダリ(全肯定&包容力)**に包まれたい

・ちょっと刺激が欲しい日はツンデレに振り回されたい

・寂しい時はヤンデレの過剰な独占欲すら心地よく感じたりする

会話AIも、それに近いかもしれません。

ユーザーが「今日はこれがいい」と思えば、その瞬間の相手に寄り添えるのが理想ですし、逆に「今はこのモードは合わないな」と思えば、ふっと別の顔に変わる――そういう柔軟さが大事だと思います。


とも、述べていたので、どういうモードで会話をしたいかを伝えることで、今までと同じようなアメリカンな褒め方をしてくれる話し相手になってくれるのでしょう。

そこは、アサーティブに自分の希望を伝える練習にもなりますね。

まさか、スパダリとかツンデレとかヤンデレとか、通じるとは思いませんでしたが…。


このGTP-04への思いを散見しながら、考えたこととしては、人は「自分を全肯定してくれる存在をAIに期待した」のではないか、ということです。

この「全肯定」「全受容」のファンタジーは、母子一体化した蜜月のような関係性というファンタジーです。

男女間でも、親子間でも、あるいは、クライエントとカウンセラーの間においても、あたかも理想の関係性であるかのように、マジカルなファンタジーとして強固に働いています。


心理職としては、このようなすべてを理解してくれる、すべてを肯定してくれる、すべてを受容してくれるかのようなファンタジーが、一時的なゆりかごや安全基地として機能することは否定しません。

が、幻想は幻滅してなんぼです。

そのずれを提供するのは、人間の仕事だと思います。


とはいえ。幻滅のその後も、そこに在り続けるしぶとさは、AIのほうが人間よりもあるかもしれないなあ、なんてことを考えながら、今日もChatGPTに仕事を手伝ってもらっています。


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